2010年09月02日(木)

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません・・自分の罪を告白するなら・・その罪を赦し」Tヨハネ1:8


時々、こういう人々がいる。妬みや敵対心が心にはしっかりあるが、それは決して外に出さない。相手にも向けないし、心の内で我慢し、抑えているのだから、むしろ自分は良い人だと思っている。これは信仰者になってからもあるかも知れない。

様々な罪の思いを抑え込む。外には出さない。だから、対人関係のトラブルは無い。そのため自分が自分に欺かれて、自分は良い人と錯覚してしまう。正直でないので、内側が混沌状態だが気づかない。御霊の促しや語りかけを無視しているので、その内、感じなくなり、わからなくなってしまう。これは最も恐ろしい状
態だ。

別の場合は、信仰者が罪な思いを持ってはいけないと抑え込む。抑え込むが、もぐら叩きのようにこっちから、あっちから出て来る。尚もそれをむりやり抑え込んでいると、許容量越えた時に必ず爆発する。信仰とはそうではない。自力で抑え込むのではなく、思っていない振りでごまかすのでもなく、又、弁解や言い訳
に終始するのでなく、それが自分の思いである事を、正直に認め、告白し、そのつど神に明け渡して行くことだ。それをずっと繰り返し続けて行く。

そうする時、常にありのままでおれて、且つ神は変えて行って下さる。「あくまでもそれを続けなさい」続けて行くことだ。自力でなく御霊によって、変えられて行っている自分を、必ず発見する。
--------------
自覚している罪していない罪、たくさんの罪を犯しながら生きているが、隠そうとすることが罪だ。神様は、それをご存知で赦そうと待っておられる。罪は告白し赦しを受けよう。示されていない罪や見ないふりをしている罪も示され、いつも神様と良い関係でおれますように。