2010年10月02日(土) 「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:9
「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:9
ダビデはサウル王に妬まれ、嫉妬は憎しみとなり、命をつけ狙われる。実際殺さ れかけ、切迫した身の危険に、その恐怖、不安はいかばかりであったろう。又、 自分の実子からの謀反、敵対はどんなに心痛み、苦しい事であったろう。敵から も攻撃があり、病にも陥り、身も心も絶体絶命の厳しい深刻な苦境だ。 ダビデは神の心にかなった人だった。信仰者になると悩みが無くなるのではない。 問題は必ず来る。私達は苦しくて、とにかくその問題が去る事を願う。ただただ 去って欲しい。しかし、苦しみの中でこそ、神が神であられる事を身をもって知 って行く。 ダビデは「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべなく泣い て泣いて嘆いた。苦しみの中でこそ、神との深い交わりに入れられる。それは苦 しみの中でしか得られない。「主よいつまでですか、あなたは」と、ありのまま の気持ちを神にぶつけている。順境の時には決して経験出来ない。 自分で何とかしようともがき、走り回るのではなく、問題をすべて神に持ち出そ う。自分で当たると空回りだ。心を何もかもを注ぎ出し、苦しみ、悲しみ、辛さ、 痛み、怒りを神に告げ、神に寄りかかるのだ。神は受け止めて下さる。神との近 い交わりを経験する。そして、その祈りは聞かれる。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 泣く声を聞かれ、切なる願いを聞いて下さる。苦しい時、辛い時、悲しい時、ま ず主に告げ、訴えよう。感情をふつけ、気持ちもをことごとく打ち明けよう。自 分の本当の気持ちを正直に告げて行く時、環境はすぐに変わずとも、心は平安に なる。