2001年11月24日(土)

『戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた』(ヨハネ20:26)


 イエスが十字架にかかり命を捨てられ、
よみがえられた後、弟子達に現われられた
弟子達はおびえていた。ユダヤ人達を恐れ
て、戸に鍵をかけていた。その夜、部屋に
満ちていたのは、恐れだった。
恐怖だった。その時イエスは弟子達の中に
立って「平安があるように」と言われた。
この時の状況を考えるならユダヤ人の指導
者達はそのままである。
キリストを十字架刑にしたローマ兵は町を
巡回していた。恐怖の状況はそのままだ。
では、この意味は何なのか。その時まで、
弟子達はイエスの死を見つめていた。
しかし、イエスが来られて彼らの真中に立
たれた時、弟子達は主の臨在を体験した。
状況の変化でなく、主の臨在が弟子達に平
安を持たらした。世界はあらゆる問題と悩
み困難に満ちている。これらが無くなる事
を約束しておられるのではなく、平安を約
束しておられる。平安は悩みが無い事では
なく、神の臨在。