2011年07月03日(日) 「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心 でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1
「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心 でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1
もし、あなたのそばに過ちに陥った人がいるなら、そのままにしておかないで、 その人を正してあげなさいと、主は言われる。「御霊の人であるあなたがたは」 とあり、その場合、大事な事は、自分自身が御霊に導かれている必要がある。 まずよく祈り、御霊の示し、御霊からの言葉を受け取ることが大切だ。その時、 御霊がこの事をさせて下さるという確信が与えられる。それゆえ心に平安が臨む。 平安をもって事に当たれる。そして自分もよく整えられ、「柔和な心で」愛をも って真理を語ることが大切だ。 ただ真理の剣で刺し貫いて、裁いて責めるのではなく、自分も罪人であり、同じ 状況になれば、罪を犯すや知れず、自分が相手の立場であるならとの思いやりを 持って語る。そうする時、御霊が働かれて、相手に間違いを示し、悔い改めの心 を与えて下さる。 ダビデを悔い改めに導いたナタンは、神から示され、神に従いその任に当たった。 彼は、ダビデの事を考え、ダビデにわかるように、ストレートでなくワンクッシ ョン置き、羊のたとえを用いて語った。ダビデはその話により自らの罪の重大さ がわかった。 わかった時、主の御前に心底悔い改めた。瞬間、罪の赦しが臨んだ。ナタンは用 いられ、神からの大任を果たした。私達もそのために用いられる。又、逆に人か らの忠告は、真摯に耳を傾けよう。間違いから守られる。 ・・・・・・・・・・・・・ よく祈って、自分がその立場ならどうかと考え、相手への愛と同情がある時に、 御霊に導かれた言葉は、相手の心に響く。愛が無いなら、正しい言葉も、相手に 届かない。うるさいシンバルだ。御霊に導かれて、事にあたろう。