2011年10月03日(月)

「神がすべてのことを働かせて益としてくださる・・なぜなら、神は・・御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:28


「祝福」というと、何を連想するだろう。嬉しい事、楽しい事、ラッキーな事、ハピーな事、受験合格、商売繁盛、無病息災、家内安全、つまり順風満帆、自分の思い通りになる事だろうか。自分の思考パタンに、そんな価値観が無いだろうか。しかし、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる」と主が言われるからには、自分の思いとはかなり異なるはずだ。

私たちには、誰しも「自分の思い」という固い強いものがある。これは自分軸に物事を考え、中心を、視点を、自分において判断する。だから自分中心だ。しかし、事態は神中心に展開する。だから、自分中心の物差しでは量れないし、わけがわからない。私たちの信仰人生の中で、主を信じ、御心に従いたいと、具体的に御心を求めて、歩む。その時に、祈った結果、もし、自分の願いや思いと異なる状況が来たなら、それは神からの答えだ。

それを主からと受け入れて、従って行く時、大きな、思いを越えた「祝福」にあずかる。人間は自分中心なので、神を幾らでも利用して生きて行く。どんな建前でも、口実であっても、肉は神を利用してしまう。しばしば経験する、自分の思いと神の御思いの「ずれ」、そここそが実は祝福だ。自分の利得ではない、神の御心に自分を合わせて、受け入れて行く、そこできよめられ、神中心、御子のかたちへと成長して行く。
------------------
神はご自分の方法で私達を御子のかたちへと変えて行かれる。思い通りに行かない成り行きは、神の取り扱いの途上なのかもしれない。いま感謝できないことがあるならそれを感謝してみよう。