2011年11月02日(水)


「どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11

「悪い者でも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている」親は子供に決して悪い事をしない。愛する子供に良い物を与える。ましてや天の御父は、私たちの求めに、答えたいと思っておられる。何でも求めたらよい。しかし、神は「自分の子供に良い物を与える」「求める者たちに良い物を」と「良い物」を下さると記されている。自分が祈ったものが、その通りに、そのままではなく「良い物」と言われる。それは、願った物そのままかも知れないし、そうでないかも知れない。とにかく私たちにとって「良い物」なのだ。

願った通りに、与えられないと失望落胆しているなら、祈りの答えを見直してみよう。気づかないまま、違う形で答えられているかも知れない。1才児が母親が使っている包丁をねだっても、親は絶対に与えない。又、子供が桁違いの高価な物をねだったとしたら、もっと大きくなってから与えるだろう。持つにふさわしい「時」がある。又、与える事は可能だが、我慢や忍耐する事を学ばせたり、その子のために、教育的配慮から控える場合もある。

自分はこれこそが最善、最適、最も必要と思うが、神は完全にふさわしく与えて下さる。その主に委ねた方が良いのではないだろうか。自分の願いとは異なるかも知れないが、それは「良い物」なのだ。その時は理解できなくても、後に必ず豊かな実を見る。時に「良い物」が自分の思いと違うことを心得ていよう。そしてそこに神のお心を見い出す時、喜びが来て納得する。
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祈りの答えはみな良いものだ。祈りの答えから神のお心を見ていこう。思い通りに祈りが叶えられた喜びの時と同じ感謝の気持ちで、全ての祈りの答えをしっかりと受けとめよう。