2012年04月02日(月)

「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20

人々は「やみを愛した」とあり、人の古い罪の性質は、罪を憎むのではなく、罪を愛する。肉とは、したくないが、罪を犯すのではなく、罪を犯したい。誘惑に乗ってしまうのは、誘惑を拒絶するのでなく、本当はその誘惑の中にいたいからだ。誘惑は甘くて心地良い。それが苦くて辛いものなら、決して誘惑になどならない。余りにも心地良いので、そこから出たくない。闇を愛する罪の性質だ。

ぎまんに陥らないために、「できない」のでなく「したくない」自分であると認める事。光でなく、闇を愛する古い性質が、自分の内にある事を認識しておく事は大切だ。又、自分は見える、わかっていると言う事は、光を拒む事になる。見えない事を決して認めない。しかし、光を拒むなら、闇の中で見えるのは、自分だけだ。自分はどこまでも正しく、相手が悪いとしか見えない。

真理を行なうとは、自分の罪を認める事だ。自分を正当化し、人を裁き、責める者である事を認める。その時、その人は光に出るので、神が見える。光があり、神が見えるので、更に自分の姿がはっきりと見えて、悔い改める事ができる。全き赦しを受け取り、新しくされる。今、自分が正しいとしか見えないなら闇の中だ。光は、正しいと思っているあなたの真の姿を照らし出す。神の前でのみ本当の自分が見える。
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どこまでも自分を正当化したいし、高慢、高ぶりも実は心地よい。しかし、主がおられ、常に御言葉の光の中にまねいて下さり気づかされ、悔い改めてまた新しくされる朝は、なんと幸いなことか。光の中にとどまっていよう。