2012年05月03日(木)

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままではいけません」エペソ4:26

カインとアベルの兄弟がそれぞれ献げ物をした。アベルの供え物は受け入れられ、カインのものは退けられた。なぜ、カインのものは目を留められなかったのか。理由自体は記されていないが、「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる」とあり、正しく行なっていなかった事がわかる。

しかし、カインは、自分は受け入れられず、なぜ、アベルだけが?妬みと怒りは憎しみへと増幅する。カインはアベルに非常な憎しみを抱く。最初から殺害を思い立ったのではなく、心の内に激しい怒りと憎悪を抱き続けていた。神はそれを見られて、「罪が門口に待ち伏せている。それを治めるように」と言われた。

カインはこの神の警告に関わらず、憎しみがエスカレートするのを制御しなかった。罪はどんな状況でも、自分を正当化させる。それが罪の性質だ。しかし、正当化して行くなら、罪に足をすくい取られ、がんじがらめにされる。この自己正当化が、罪をわからなくさせてしまう。

私たちはどうだろう。許せない気持ちを、どんどんエスカレートさせて行く時、それは憎悪となり、憎しみは相手を心の中で抹殺して行く。言い訳をし、理由付けをし、自分の罪を罪と認めないなら、感覚が無くなってしまう。心の中での殺人が、現実の殺人へとエスカレートする。怒りを認め、主に祈り、制御できるよう助けを求めよう。主は助けて下さる。
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怒りや憎しみは治める決心をしなければくすぶり続け、やがて爆発する日が来る。日の暮れるまでに、その日捕らわれていた憎しみのにがい思いを主の前で解決しよう。