2012年06月02日(土)

「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の 弱さを誇りましょう」Uコリント12:9



パウロは正しいと信じ、キリスト者を迫害していた。その非常なる熱心は神のた
めと思い込んでの事だった。突然の主の介入により、180度の方向転換となり、
命を賭けて宣教の生涯を全うした。

パウロは大使徒であり、第三の天にまで引き上げられるという、特別な恵みを受
けた人物だ。あらゆる面で秀でた人であり、信仰により何でも出来る人物のよう
に見える。ところがパウロには「とげ」が与えられていた。もっと主の働きがス
ムーズに出来るようにと、そのとげを除いて欲しいと祈りに祈った。切なる祈り
を献げた。

しかし、答えは「ノー」であり、「わたしの恵みは、あなたに十分である。わた
しの力は弱さの内に完全に現れるから」というものだった。この世の価値観と真
逆だ。この世では、強い事が良いこと、能力がある事、できる事が善であり、人
は強くなくてはならない。

弱さは忌むべきものであり、受け入れがたいものだ。しかし、主は、弱いことが
良いことで、弱さの中でしか、神の力は現れないと言われる。自分が弱い者であ
ることを認め、日々に、主に拠り頼んで行くことが、大きな祝福を受ける道であ
り、平安と喜びの日々を歩めることだと。

プライドが妨げるだろうか。自分の弱さを知り、主の御前に認めること、それが
信仰生活の秘訣だ。その時、主が重荷を負い、くびきを共に負って下さることを
経験できる。

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私たちにも「とげ」が与えられる。対人関係、経済的困窮、何かの悩み、そのと
げを、必ず取り除いて欲しい、去らせて欲しいと願う。誇る事などできない。
「これさえ無ければ」、しかし、そこでこそ主の力におおわれ、主ご自身を知れ
るとは何と恵みだろう。