2002年01月03日(木)

「この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいけない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3)


 「待つ」ことは信仰生活で大切な
重要な事柄の一つである。
そして、誰もが知っているように
「待つ」事は最も難しい命令である
ハバククもそうだった。
イスラエルの危機について主に不
平を言うために、祈りの見張り所
に立った。主の答えは「待て」だ
った。待つ事は主が計画しておら
れる事に対し、また、私達がまだ
備えが出来ていな事に心構えする
ために必要だ。
イエスは昇天される時「エルサレ
ムにとどまって父の約束を待て」と
命令された。弟子達が将来の心構
えが出来ていない事を知っておら
れたためだ。弟子達は心を一つに
し、備えをした。
私達は待つ事を通して、心を構え
心の準備ができる。主が与えて下
さる素晴らしく良いものを、受け
取る準備だ。待つ間、私達は見え
なくても、神は私達のまっただ中
で働いておられる。