2013年05月03日(金)

「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ・・」創世記3:6 

        
エデンで、サタンがエバに誘惑をしかけて来た時に、エバは御言葉をうろ覚えだった。園の中央にある木の実について、「それに触れてもいけない」とは言われておらず、「死ぬといけないからだ」とも言われていない。「必ず死ぬ」だ。エバの足もとはグラグラだった。主から御言葉を直接聞いたのは、アダムだった。エバは、はっきりしないなら、アダムに聞けば良かった。御言葉に立っていないなら、サタンは恐いものは無い。

「あなたがたがは決して死にません」とずうずうしくも断定して来た。「必ず死ぬ」と「決して死なない」は正反対だ。普通なら、ここで気がつきそうだが、サタンの声を聞いて行くと、欲望のとりこになって行く。だから、むしろ「決して死にません」が望むところとなってしまう。心の底では、そうしたい。「大丈夫だ。食べても、決して死なないよ」。

更にサタンはたたみかける。それを食べるなら、神のようになることを、神は知っている・・。あたかも、神は人間を自分に隷属させておきたい、神と等しくなられるのが嫌なのだ、神は人間を愛してなどいない・・偽りを吹き込み、神観を歪める。そういう思いが心に吹き込まれて、木の実を見るなら、もう抗する事はできず、取って食べるのを待つばかりだ。サタンは、常に疑いを起こし、融和し、罠にかけようとしている。「・・と書いてある」主のように御言葉に立ち、祈っていよう。
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欲望に合致しているのでサタンと語るなら黒はいかにも白に見える。いつも来る欲望とサタンに敗北する所はどこか、よく知っておこう。対抗する御言葉を準備し、サタンに備えたい。