2013年09月01日(日)

「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」マ タイ6:10 

            

普段の祈りで、私達は何を願っているのだろうか。主よ、あれを下
さい、これを下さい、主よ、あちらに行って下さい、こちらに来て
下さい、主よ、あれをああして、これはこうしてと、何とも忙しい。
自分の願望と、自分の思いで一杯だろうか。

自分の思いで、主をあちらにこちらに、動かそうとしているだろう
か。しかし、間違ってはいけない。「私の心が天で行なわれますよ
うに」ではない。自分の思いが天になるのではなく、天のみ思いが
自分の思いになる。

そして、天で行われるみこころが、自分を通して、地で行われる。
自分の思いでなく、神の思いが成りますように。自分の計画でなく、
神のご計画が成し遂げられますように、という事だ。神を越えて、
自分の思いを通す事がないように、「みこころが天で行われる通り
に、地でも行われますように」これは大変重要な祈りだ。

私たちは肉の性質があるので、すぐに自分を中心に物事をとらえて
しまう。すべてが自分のためにあり、自分のために回っている。地
球が宇宙の中心で、天の方が回っている天動説のようだ。

そうではなく、天が中心だ。自分の肉の思いを捨てて、神の思いに、
自分を合わせて行く時、神と一つだ。今日、捨てるべき自分の思い
があるだろうか。肉の思いを捨てる時、神のみ思いへと入る。 

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自分の思いを、まずあるがまま告げよう。その時、委ねたつもり、
献げているつもり、ではなく、本当の自分を認識できる。委ねられ
ない、献げられない自分がわかると、そうできるように助けを求め
て祈ることができる。そして、御心成りますようにと祈って行ける。