2013年10月02日(水)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば・・あなたがたを悪人呼ばわりしていても、そのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります」Tペテロ2:12



信仰者は必ず試練があり、苦しみを受ける。それは訓練と成長のために、主が与えられるものだ。しかし、自分の至らなさゆえ、欠点ゆえ問題を引き起こし、周囲に迷惑をかけ、自らに苦しみを招くならそれは別物だ。それはトラブルメーカーであり、これは迫害ではなく、信仰ゆえの苦難ではない。信仰には関係の無い苦難だ。誰でも、失礼な態度や、他人が不快に感じる事をするなら、怒りを招き非難される。それはキリスト者以前の問題だ。

しかしそうではなく、個人の落ち度でなく、キリストゆえに苦しみを受ける事がある。迫害され、不当な苦しみを受ける。「そしりと苦しみを受け、捕らえられ、財産が奪われ」・・今の私達なら、信仰ゆえに悪口を言われ、仲間はずれにされ、嘲笑や、無視の対象になり、理不尽な目に会う。しかし、キリストゆえの苦しみなら、恥じる事はない。かえってその事のゆえに神を崇めるようにと。

そして、忍耐が必要だ。神の御心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐であるから。苦難の時は忍耐を培われる時だ。忍耐とは我慢する事でなく、どんな状況の中でも、神が必ず良くして下さる事を、積極的、前向きに信じて行く事だ。この忍耐を働かせる時に、信仰者として成長して行く。ヤコブ1:4 
そしてどんな時にも確信を決して投げ捨ててはならない。その確信は必ず報われるのだから。
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信仰のゆえに世の人とは違う歩みがあり、世から受け入れられない現実も経験する。そこで世に限りなく近づくより、主に勇気をいただき置かれた所で、前向きに、喜んで御霊の実を結んで行きたい。