2013年11月02日(土)

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまり ます」ヨハネ15:4

 

「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と言われている。苦しい
時には、神に助けを必死に求めるが、苦しみが去った途端、物事が
うまく行き始めると、頼る必要が無いので、神から離れて自分で生
きてしまう。

商売繁盛、受験合格、家内安全ではないが、目の前の仕事の窮地を
助けて欲しい、経済的必要を与えて欲しい、受験に合格させて欲し
いと、神を求める。欲しいものを手にしたい。しかし、得てしまう
と、再び自分の道に戻り、自分の道を歩む。

そして又、困難が生じると、主のもとへ来る。一生、これの繰り返
しならどうだろう。欲しいものを得るだけで、自分と主との関係は
どうなっているのだろう。これなら主はしもべになってしまう。勿
論、主は「求めなさい。そうすれば与えられます」と、必要を求め
るようにと言っておられ、豊かに与えて下さるお方だ。

主は願うことを求められ、祈りに答えて下さり、私たちを喜びに満
たして下さる。しかし、主は、私たちが欲しいものを得るための手
段ではない。主と私たちの間は、「信頼関係」にある。主は、私た
ちが、主を、しもべではなく、主として生きて行くことを願ってお
られる。

主として生きて行くという事は、苦しみの時も、悲しみの時も、喜
びの時も、幸福の時も、絶えず主と共に生きて行く事であり、物事
がうまく行こうが、そうでなかろうが、いつも主を求めて行くこと
だ。それは取りも直さず、「すべての事について感謝しなさい」と
の歩みだ。

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主は、苦しみの時に助けて下さるが、それだけでなく、愛して下さ
っているので、日ごとに交わりの中で、私たちを生かしたいと願っ
て下さっている。その交わりは深められて行き、主を親しく知って
行ける。ただ、困った時に、助けてもらいたいだけだろうか。