2013年12月03日(火)

「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、 さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまで も取り上げられるからです」ルカ8:18

 

ただ単に、御言葉をぼやっ〜と、聞いていればよいのでなく、聞き
方に「注意せよ」と言われている。イスラエルの民は皆、モーセか
ら神の言葉を聞いていた。しかし、聞いた言葉が「信仰に結びつけ
られ」なかったため、最後まで神を疑い、結局は不信仰によって荒
野で滅ぼされてしまった。

何のためにエジプトを出たのかわからない。モーセは神の言葉を語
った。聞く側に問題があった。信仰に結びつける事が大切だ。種蒔
きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。道ばたに落ちた種は土
が固く、心に入らず、悪魔が来て御言葉を奪い去った。

先入観や偏見があると御言葉が入らない。又、他人事として聞くな
ら、素通りしてしまう。まるで映画でも見るように、無関係な傍観
者として聞いていないだろうか。御言葉は「自分に」向けられてい
る神からの言葉として受け取らない限り、無益だ。自分の事として
受け取る心が「良い地」だ。必ず豊かに結実する。

岩の上に落ちた種とは、喜んで御言葉を受け入れるが、根が無い。
根を張るのは地中だ。隠れた神との関係を培う事が大切だ。人目に
見えない神との交わりの地道な生活が根だ。それが無いと枯れてし
まう。

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。外部のも
のによって生長が妨げられる。世の様々な事柄に心が奪われ、いつ
しか神がおそろかになってしまう。御言葉に対してどんな「聞き
方」をしているか、省みてみよう。御言葉を愛して、大切に、へり
くだって、「従います」の姿勢で聞こう。

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御言葉を聞く姿勢が、非常に大切だ。自分の思いが強かったり、偏
見があったり、ぼお〜と聞いていたら、御言葉がわからない。「神
の言葉」と意識して、自分を下に置き、へりくだって聞いて行きた
い。