2014年07月03日(木)

「・・ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです 」マタイ18:15 



対人関係での、問題の解決の仕方が示されている。まず「ふたりだ
けのところで」と。何か問題があれば、最初に当事者同士で話すよ
うにと。当の相手でなく、まず関係の無い第三者のもとへ行き、当
事者のことをあれこれ話し、罪に定めていないだろうか。その結果、
それが巡り巡って当事者の耳に入る事になる。そうすると誤解が生
じ、余計問題がややこしくこじれる。その次の手段として、他の人
と共に対処するようにと。

当時、罪を犯した人は、大勢の人々の前で責められた。姦淫の現場
で捕らえられた女性も、大勢の人々の前で断罪された。しかし、主
は、彼女に一対一で向き合われた。「ふたりだけのところで責める」
とは、第三者を入れず、相手の人格を尊び、大切に扱うことだ。そ
れこそが罪を指摘することができる、信頼関係の土台となる。

大勢の人前で責められると、まず心を閉ざしてしまう。そして責め
る目的は「兄弟を得たのです」とあるように、兄弟を得るためだ。
単に断罪し、裁くためでなく、関係を建て上げ、培い、深めて行く
ためだ。罪を責める動機はどうだろう。愛によらず、単に自己正義、
義憤だけなら、更に関係を悪化させてしまう。

経験あるだろうか。主の動機はどこまでも「愛」だ。「もし誰かが
過ちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその
人を正してあげなさい」御霊に導かれて、愛によって語る時、その
言葉は用いられる。
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動機は兄弟を得るためにだ。愛を持って罪の回復を祈り、最大限に
相手を気遣いながら用いていただこう。ただの裁きや罪の断罪であ
れば、口を開かず自分自身が主に向かい合おう。