2014年10月03日(金)

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした・・『私のそむきの罪を主に告白しよう』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」詩篇32:5 




ダビデは、バテシバと姦淫し、その夫ウリヤを殺害した。口をつぐ
んでいたところ、主は、預言者ナタンを遣わされた。すでにウリヤ
は殺されている。ナタンも、即、打ち首になるかも知れない。しか
し主に従い、ダビデのもとへ行き、言った「二人の人がいて、一人
は富み、一人は貧しかった。富んでいる人は多くの羊や牛を持って
いたが、貧しい人は一頭の小さい雌の子羊だけだった。

彼はそれを大切に育て、自分の娘のようだった。時に旅人が富んで
いる人の所に来たが、自分のものを調理する事を惜しみ、その貧し
い人の子羊を取って、調理した」。するとダビデ王は激怒し、「そ
んな事をした男は死刑だ」と言った。ダビデの密かな隠れた罪が反
応した。

すかさずナタンは「あなたがその男だ」。その時ダビデは、「わた
しは主に対して罪を犯した」と告白した。ナタンは、まずダビデの
罪の指摘でなく、人の罪の話をした。人の罪には非常に敏感だ。ダ
ビデも自分の犯した罪は気づいていただろう。しかし自分は王であ
り、トップだ。すべては自分次第、幾らでも隠し通せると思っただ
ろう。

他人の罪としてナタンから語られた時に、その罪がはっきりと目の
前に示され、重大さに気づいた。悔い改め、刈り取りに苦しみつつ
も、練られ、きょめられ、信仰の人ダビデが生み出されて行った。
悔い改める時、どんな罪でも赦される。尚も建て直し、建て上げて
下さる。何という恵みだろう。
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隠した罪は、解決されずに残っているだろうか。罪を認め「罪は赦
された」と言われることは、どんなに感謝で幸いなことか。どんな
罪でも神が赦してくださる。悔い改められる。