2015年03月03日(火)

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい・・あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7



あなたには、心配事があるだろうか。次から次へと問題は起きて、
心配事を抱える。対人関係の問題、仕事の悩み、経済的必要、目の
前の問題、先の問題、様々な悩みで、くよくよと思い煩う。しかし、
主は「思い煩うな」と言われる。いっさい「心配無用」と。なぜ無
用なのか。思い煩ったところで何も解決せず、何一つ変わらない。

「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことがで
きるか」の通り、何一つ成就しない。心が真っ暗に落ち込む事で、
何かを前向きに、信仰的に考えられるだろうか。思い煩いは有害無
益だ。なぜ思い煩うのか。自分が高くなっている。自分がなすべき
であり、自分が出来ると思っている。

だから、自分が負い、すべてが自分の肩にかかってくる。しかし、
出来ないので、そのため思い煩う。「神の力強い御手の下にへりく
だりなさい」の通りだ。思い煩いは、実際より、物事を大きくして
しまう。冷静に対処するなら、乗り越えて行ける事態が、恐れでパ
ニックに陥ってしまう。その心配事は、絶えず脳裏に浮かび、それ
を受け入れ続けていると、不安と恐れの要塞を築き、それを尚も強
固にし、モンスターにしてしまう。

モンスターにはとても打ち勝てない。しかし、それは現実、実際と
は異なる。妄想上のモンスターだ。最悪のシナリオは成ったためし
がない。「いっさい」神に委ねよと言われる。一つ残らず、すべて
委ねよと。主が心配して下さっている。主に渡そう。いかに愛し、
気遣って下さっているかを経験して行く。
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今の心配事の中に、主を認めているだろうか。それはそれと、自分
のやり方で心配し、思い通りの結果を待ち望んでいるので平安がな
いのではないか。そうなら神の力強い御手の下にへりくだろう。