2015年04月02日(木) 「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」マルコ6:26
「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」マルコ6:26
ヘロデは、ヨハネを正しい人と恐れ、保護していたのに、殺してし まった。なぜなのか。「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあ り、人々の手前もあって」とあり、ヘロデは、自分はヨハネを正し いと知りながら、人目を気にして、人の手前、ヨハネを殺してしま った。ヨハネの 語る神の言葉を聞いていながら、自分の立場を守 り、周囲に体面を保つために、ヨハネを抹殺してしまう。 ヘロデは、ただ神の言葉に喜んで耳を傾けるだけで、御言葉に向き 合い、応答し、悔い改める事がなかった。又、神の言葉に自らを従 わせ、方向変換するという事もなかった。ヘロデには権力があり、 娘の願いを退けることができた。にもかかわらず、娘の言う事に従 ってしまった。ヘロデは、人々の前に、メンツを守り、神を恐れず、 人を恐れた。体面を取り繕うことが最優先であった。 私たちはどうだろう。他人の目に、自分が思う以上に、とらわれて いるものだ。人への恐れから、事を誤って行く。それは神の言葉に 喜んで耳を傾けていながら、御言葉に従うことをさせない。人への 恐れは、内側に根深く培われている。まず気づきから始まる。ヘロ デはヨハネの言葉を喜んで聞いていた。しかし悔い改める事はなか った。 御言葉を喜んで聞いてはいても、御霊の示しに従わないなら、実を 結ぶことがない。ピラトも主が正しいとわかっていたのに、保身の ために、優柔不断で主を十字架に追いやった。実を結ぶために、目 の前の御霊の示しに従う事が必要だ。従えないから、祈りがあり、 祈る時に、従えるように助けられる。そして心に平安を経験して行 く。 -------------- 周囲の声や自分の声、いろんな声を聞いてそれに従う。神の御言葉 も聞こうとすれば豊に与えられているのに、何に従うだろう。正し い人を殺してしまうヘロデの危うさを私たちも持っている。