2016年02月01日(月)

「それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです」Tヨハネ3:19     


 

困難が起きた時に、まず頼るは主であり、避け所であり、切なる祈
りをもって主に近づきたい。何があっても、頼るべきお方、行ける
ところがあるとは、何と幸いな事だろう。しかし、自分が困った時
に、大胆に確信を持って祈ろうとするなら、普段から「神の命令を
守り、神に喜ばれることを行っている」ことが大切だ。

すなわち、他人の事を思いやり、他人が困っている時には、その必
要に仕えていなければならない。人が困っているのを見て、助ける
ことができるのに、憐れみの心を閉ざすなら、自分自身が困った時
に、どうして心が責められずに、大胆に主の御前に出る事が出来よ
うか。「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶとき
に答えられない。」

人の苦しみには耳を閉じ、自分が困っている時には求めるのは、自
らの心がとがめて、御霊によって祈る事が出来なくなる。心にとが
めがあるなら、それが妨げとなり、どれだけ祈ろうとしても確信も
って祈ることができない。祈りが妨げられないために、いつも大胆
に御前に出たい。

そのためにも普段の生活で、御霊に示される事に、一つ一つ従える
よう祈ろう。主は祈りに答えて助けて下さる。そうする時、とがめ
無く大胆に祈ることができて、「求めるものは何でも神から頂くこ
とができる」素晴らしい祝福にあずかる。
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御霊が与えてくださる思いに目をそらすこともできる。けれど従い
愛を示していくとき、その行いによって自分自身が主により豊に、
養われる事を経験する。いつも御前に安らかでいたい。