2016年03月03日(木)

「恐れないで、ただ信じていなさい」マルコ5:36  



     
会堂管理者ヤイロが、死にかけている娘のために、主に求め、足も
とにひれ伏し、必死に願った「どうかおいで下さって娘の上に手を
置いてやって下さい」。そこで主は、彼と一緒に出かけられた。ど
んなに嬉しく、安堵した事だろう。主が来て下さるとは。もう大丈
夫だ。

しかし、その途中で妨害が入った。長血の女性が現われたのだ。主
は彼女をいやされ、そして取り扱われ、信仰を確かなものとされ、
帰された。その対応に時間が取られ、一時中断となった。一刻を争
うヤイロにとれば、焦って気が気ではなかったろう。するとそこに
使いがきて、娘の死を告げた。何という事だ。万事休すだ。

せっかく主が来て下さるのに、間に合わず、手遅れなどと。そのネ
ガティブな状況の時に、主が間髪を入れず、彼に言葉をかけられた
「恐れないで、ただ信じていなさい」。御言葉と目の前の状況が相
反する。正反対だ。見える状況は、「もうダメだ」「手遅れだ」
「絶体絶命だ」。しかし主は、「恐れないで信じていなさい」と。

主にとって、遅れは何の問題でもない。主がおられるということが
すべてだ。病気のラザロの箇所でも、あえて遅れて行かれ、死ぬま
で待たれ、病気を治すのでなく、よみがえらせるという更に大きな
奇跡をされた。主の栄光を現わされた。目の前に、絶体絶命の状況
が広がっているだろうか。主はご計画をお持ちだ。「恐れないで、
ただ信じていなさい」。
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恐れや不安は一つ解決してもまたすぐにやって来るが、恐れないで、
ただ信じていなさい」の信仰さえあれば、どんな時にも望みを失わ
ずにいられる。絶体絶命を信仰で超えた後にある平安を目指そう。