2016年06月02日(木)

「その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません」ヨハネ1:27



ユダヤ人たちが、人を遣わし、ヨハネに「あなたはどなたか」と問
わせた。バプテスマのヨハネが、「キリストか?」と思った人々が
いた。しかしヨハネは、自分はキリストではないと、明言した。彼
は人々が主を信じるために、道を整え、導くという自分の役割をよ
く理解していた。その使命を果たす事で、主の栄光を現わした。

謙遜とは、自分の位置と役割を心得ることだ。ヨハネは、自分をわ
きまえていたので、自分の立ち位置を守り、そして、自分の役割に
心から満足していた。人は、自分が賞賛を受ける時、どうしても主
の栄光を自分が奪ってしまう。人からの賞賛は大きな誘惑だ。人に
認められ、評価される事は嬉しい。肉はその誘惑に勝てない。

しかしヨハネは、弟子たちが、主に妬みを抱いた時に「人は天から
与えられるのでなければ、何も受ける事はできない。主は盛んにな
られ、自分は衰えなければならない」と言った。普通、人が、自分
より大いに用いられていたら、どうだろう。妬みの誘惑が来る。し
かし、ヨハネは主が盛んになられ、自分が衰える事を受け入れてい
た。

自分の使命を果たす事に、大きな喜びを抱いていたからだ。なぜな
ら、ヨハネは主に愛され、「ヨハネよりすぐれた人は出なかった」
と主から認められていた。私たちもすでに主から愛され、認められ
ている。それゆえ、自分の遣わされた場で役割を果たして行くこと、
そこに喜びと真の満足がある。
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主はいつも愛を示してくださっている。自分に与えられているポジ
ションにしっかりと立とう。あなたはと問われたら、少しでも大き
く見せたい者だが、主が見ておられる私は十分に高価で尊い。