2016年07月03日(日)

「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさ い」ルカ8:48



この女性は12年もの長い間、出血が止まらない状態で、心身共にど
んなに苦しみの中にあった事だろう。律法によると不浄であり、礼
拝にも出れず、宗教的にも社会的にも疎外されていた。経済的にも
治療に財産を使い果たし、ますます悪くなる一方で、これから先ど
うすればよいのか。まさに絶体絶命の、絶望状態だ。

心身限界で、ぼろぼろであった。わらにもすがりたい思いで、救い
を求めていたに違いない。そんな時、主の噂を耳にし、主の着物に
でも触れば必ず直ると信じた。必死であった。体調悪い中、主の居
場所に向かい、必死に近づいた。彼女にとれば、どんなに大変な事
だったろう。群衆をかき分けて、倒れ込むように、主の着物の裾に
触った。

触った瞬間、血の源が枯れて、痛みが直った。誰にも知られずに、
そっとその場を去りたかった。が、主が「触ったのは誰か」と問わ
れた。群衆に紛れ込んだまま、じっと息を潜めていたが、どうにも
隠しきれないと思い、恐れ震えて「イエスの前に」出た。どんなに
勇気の要った事だろう。「すべての民の前で」イエスに触った理由
と、癒された次第を話した。皆の前で告白した。

自らを卑しめ、絶望と悲しみ、暗さに隠れていたのが、主に導かれ
て、光の中へと入れられた。主は「あなたの信仰が」と彼女の信仰
を認め「安心して行きなさい」と。もう恐れも不安も怯える事もな
い、全き平安と自由を下さった。身体と共に、心もいやされ、全人
格的な救いに入れられた。告白は彼女自身のためであった。私たち
も信仰の手で、一歩主に近づこう。

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「安心して行きなさい」何と愛に満ち満ちた安堵の言葉だろう。何
も持たず、どん底で行き詰まりの時に、ただすがるだけで光の中へ
と入れられる。愛されているゆえだ。心の手で主を求めよう。主は
溢れるばかりに応えて下さる。