2016年08月03日(水)

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがを愛しました。 わたしの愛の中にとどまりなさい」ヨハネ15:9


農夫が、はさみで、実が実らない枝をせん定して行く。実を結ぶ枝
に養分が行き、より良い豊かな実を実らせるためだ。御父は信仰者
に同じようにされる。主は私たち一人一人に豊かな実を結ばせたい。
そのために刈り込みをされる。それはもっと多く実を結ばせるため
だ。はさみで刈り込まれるのは痛い。血が流れる。刈り込みは痛い
が、更に実を結ぶようにとの目的だ。

すでにきよいからこそ、もっと実を結ばせるために訓練して下さる。
今、刈り込みがなされているだろうか。痛い状況の中にあるだろう
か。痛いが受け止めて行こう。「わたしにとどまりなさい」の「と
どまる」は、「住む」「宿る」ことであり、一緒に住むことだ。主
にとどまっているので、受け止めて行ける。主を離れては何もでき
ないと。

又、「わたしのことばがあなたがたにとどまるなら・・」、神の言葉
が私たちに宿る時、祈りが叶えられ、多くの実を結ぶと。少しばか
りの実でなく、「多くの」実だと。そこに御父の栄光が現れて行く。
そして、「わたしの愛の中にとどまりなさい」とは、「わたしの戒
めを守るなら、わたしの愛にとどまる」とある。

戒めを守ることが、主を愛することだと。「主はその愛する者を懲
らしめ・・」懲らしめは愛だ。反発や怒りでなく、刈り込みが愛であ
ることを信じて行く時、主にとどまり、主の愛にとどまることにな
る。平安の実を結んで行く。

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もうきよい者とされているので、更に多くの実を結ぶために、刈り
込みをされると。刈り込みは確かに痛い。しかし試練を通して、砕
かれて、成長させて下さる。愛、喜び、平安・・の実を、そして証し
の実を結ばせて下さる。