2016年10月03日(月)

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20



ジョニーという女性の証しがある。彼女は、水泳の飛び込みに失敗
する。脊髄を傷めたが、九死に一生を得、何とか命は取りとめた。
しかし一生身体は動かないと宣告された。その時に絶望のどん底で
死を願った。「鏡に映る姿はとても人間ではない。窪んで落ち込み、
血走ってどんよりした2つの眼球。

36キロの身体は、黄疸になり黄色い皮膚に覆われた骸骨だ。太った
頭は不気味であり、話をする時、見える歯も薬物治療のため黒くな
っている。とても生きて行けない」。しかし、少しづつ周囲に励ま
されて行く。「神がどう見ておられるかが大切。人がどう見るかは
問題ではない。人の基準で自分を見ると負け犬にしかならない。神
からの価値だけを考えよう」と。

その時、自分が、神の似姿に造られた事に目が向いた。自分のこの
身体、格好、能力、出来る事、出来ない事、自分で自分がどう見え
たとしても、信仰に立ち、自分の事を神に感謝する事にした。する
と感謝を献げ続けて行くと、パズルが埋まるように、すべてのもの
をふさわしい所に置くよう助けられた。

そして、より良く神に仕え、より幸せになれるように、神がこの身
体を与えられたと理解できた。こうでなければ人生最後まで、何も
わからず自己中心に生きていたであろうと。神が特別に自分に干渉
して下さった事に心から感謝した。

今、心に喜びがあり、幸せそのもので、自分を他のものに変えたい
とは全く思わない。感謝する事は、つまり今の状況に神を認める事
だ。その時、神は自由に働かれ、感謝が湧く。
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いつでも、すべてのことに感謝することなど到底できない。だから、
いつでも祈りなさいということではないだろうか。主はその時々に
ふさわしい方法で導いてくださる。主の恵みの中に歩みたい。