2016年11月02日(水)

「私は漁に行く・・彼らは出かけて小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった」ヨハネ21:3 



ペテロは主を否み、裏切るという取り返しのつかない罪を犯してし
まい、この時の心情はどんなものであったろう。主からガリラヤに
行くよう言われ、故郷に戻ったペテロや弟子たち。どんな顔をして
会えばよいのか。合わせる顔がない。自分は弟子失格で、心は重く、
暗く、喜びも平安もなく、空虚だったろう。

なすすべなく自分に出来ることは漁、ペテロがその漁に出ると、他
の弟子たちも一緒に出る。魚は一匹も捕れない。しかし、魚が捕れ
ようが捕れまいが、ペテロの心は暗かったろう。自分の人生の汚点、
大失敗が脳裏から離れない。思いはそこにだけあった事だろう。主
を裏切り、主を捨てた自分。しかしそんな彼らに「夜が明けそめた
時、イエスは岸べに立たれた」。

虚しい心で、疲労こんぱいの弟子たちに「右側に網をおろせ」と。
それを主とは知らずに、言われる通りにすると、大漁だった。以前
にあった同じ光景が重なり、「主です!」と気づいた。ペテロが主
に召されて従ったあの原点だ。ペテロは一刻も早く主のもとへと、
湖に飛び込んだ。

主は、三度否んだペテロ、そして主を捨てて逃げ去った弟子たち、
その心の挫折、後悔、悲しみ、傷みをご存じであった。主は弟子た
ちに朝の食事を用意し、ペテロを回復させられた。もう一度新たに
立ち上がらせられた。私たちの信仰生活のどんな真っ暗な中でも、
「夜が明けそめた時、イエスは岸べに」立っておられる。
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信仰生活、失敗から多くを学んだ。失敗もまた主は省みてくださる。
何と感謝なことだろう。失意のままで主を仰ごう。夜明けの岸に主
を見出し、虚しい漁を終えよう。