2017年04月02日(日)

「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、 かえって乏しくなる者がある」箴言11:24


神の価値観は、この世の価値観と全く違う。例えば、手元に経済的
余裕が無くなった時はどうだろう。持ち金が少ない。そんな時、世
の価値観では、何とか収入を増やす事を考え、支出を控える。財布
のひもを締める。しかし、神は異なり、与えよと言われる。そうす
れば与えられると。

ある宣教師が、母国からのサポートが、ある時、非常に少なかった。
家賃や高熱費等、通常のなすべき支払いをすると、手元に残らない。
とにかく必要が与えられるよう祈りに祈って、可能な限りの節約を
した。そんな時、想定外の収入があり、これは主の答えと感謝し、
喜んだ。ところがその収入分が、これまた想定外の病院通いで、す
べて無くなってしまった。

与えて下さったのでは無かったのか。これは一体どういう事かと、
主の前にお心を尋ね、祈り、交わった。その中で、主は更に献げよ
との、御心を示された。「与えよ。そうすれば自分も与えられる」。
しかし、もう手元には僅かしか無い。生活もできないほどだ。どう
するのか。だが、どれだけ祈っても、主は献げよと言われる。示し
は変わらない。

そこで決心した。主の御心に従おうと。主の示し通りに、持てるも
のを献げた。信仰によって献げ、あとは主に身を委ねた。すると不
思議が起きた。その直後、自分たちへの愛の献金が献げられ、何と
支払い含め、生活の必要のすべてがことごとく満たされた。

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聖書の価値観は、世の価値観と全く違う。世の価値観だと、ばらま
くと減って、無くなってしまう。支出しなければ、減らない。しか
し御言葉は正反対だ。与えるなら増えると。御言葉に従う時、その
通りである事を経験し、主を知り、御霊の喜びに溢れる。