2017年05月03日(水)

「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、


ある人が、思春期の頃から、父親との長年の確執があった。仕事人
間で、ほとんど家にはおらず、しかしワンマンで厳しく、上から抑
えつけられて来た、気持ちを聞いてもらった事など一度もない。そ
んな父親を恨み、憎んでいた。父親が大嫌いだった。主を信じた後、
その事が取り扱われた。

憎しみは、苦しみをもたらした。苦しくてたまらなかった。心が、
どうにもならず、がんじがらめだ。まさに牢獄の中だった。常に囚
われの身であり、父親が目の前にいようと、いまいと関係ない。楽
しい時にも、ふっとよぎり、心は沈み暗くなった。まさに真っ暗な
牢獄の中だ。余りにも苦しくて、もう一歩も進めず、主の御前に、
この事を差し出し祈った。聖霊は心に示された。

今、うまく行かず、自分がこうなっているのは、すべて父親のせい
だと思っている事。それで父親を恨み、赦せない思いでいる事。し
かし、父親を責めていれば、自分を見なくて済む。そして父親がど
うであれ、憎む事は、自分の問題であり、自分の罪である事を。そ
れがわかった時、自分の罪を認め、悔い改めた。その時、涙が溢れ
出た。

神が触れて下さった、恵みの涙だった。心が溶かされて行くのを感
じた。神の赦しを実感し、あの苦しかった心がすう〜っと穏やかに
なり、平安になった。そしてあの憎しみと苦しみが不思議に消えて
行った。相手に関係なく、自分の感情、思いは自分の責任だ。それ
を認めて行く時、自由にされ、解放されて行く。御霊からの喜びを
経験する。
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神が触れてくださるゆえに、人ではなく自分の罪を悔い改め、赦し
を受け取る事ができる。混乱しやすく人しか見えない者だからこそ、
隠れている私の罪を悟れ、お赦しくださいの日々の祈りが大切だ。