2017年10月03日(火)

「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3


争いが起きた時、確かに相手に非があったかも知れない。しかし
「あなたが間違っている。あなたのせいで問題が起きた」と、相手
の目からちりを除こうとすると、事は、更に悪化し、心の糸がから
まり、混乱し事態はぐじゃぐじゃになる。経験ないだろうか。

相手のちりを見つけた時こそ、実は、まずこちらがへりくだること
だ。御霊と共に、自分をよく省みて、自分にも非がなかったか、反
省すべき点がないのか、よくよく御前に静まり祈って、御霊に照ら
される事が大切だ。自分の目の中に梁があると言っている。

「おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れ
ると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れ
ることではない」と。へりくだって、自分を省みる時、「まず自分
の目から梁を取りのけ」るなら、その時、はっきり見えるようにな
る。そして、へりくだって、愛によって、相手のちりを取り除く助
けができる。

目のようなデリケイトな所は、触れようとした瞬間、相手は閉じる。
不用意に、祈りもなしに、こちら側の霊的整えも無しにできる事で
はない。梁は大きな材木、ちりは目に見えないほど微少のほこりだ。
まず批判的な、裁く心が大きな材木だ。

相手が悪いからと思っているが、実は自分の思い通りでないから、
裁いている事が多々ある。愛とへりくだりが無ければ、必ず泥沼に
なる。まず自分を主の御前で御霊に探って頂こう。そうする時、整
えられ、今度は相手のちりを除くために、用いられる。
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相手のちりが見えたとき、冷静に自分自身をふり返れたなら感謝だ。
人の事をとやかく言える立場ではない自分に気づける。へりくだり
いつも主の前に自分自身を省みていたい。