2017年12月03日(日)

「聖なるものを犬に与えてはいけません・・それを足で踏みにじり、 向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから」マタイ7:6


主は、人を「さばいてはいけません」と言われると同時に、「偽預
言者たちに気をつけなさい」「羊のなりをしてやって来るが、うち
は貪欲な狼です」「見分けよ」と言われる。「裁く事」と「見分け
る事」は別の事だと。

「裁くな」と同時に「聖なるものを犬に与えるな」と命令された。
犬や豚を見分けなければ、どうして聖なるものを犬に与えるな、豚
に真珠を投げるなとの主の命令に従えるだろう。識別力を行使しな
ければ、見分ける事は不可能だ。

又「霊だからといってみな信じるな」と言われる。終末には、多く
の偽預言者たちが現れると。羊のなりをしているが、貪欲な狼だと。
羊のなりをして、つまり一見素晴らしいクリスチャンとしてやって
来る。。霊を何でもかんでも信じるのではなく、見分けよと。「鳩
のように素直」で、且つ「蛇のようにさとく」あるようにと。

では「裁き」はどうだろう。人を「裁いて」いる時は、自分の内に
優越感がある。上に立って、相手を見下している。そして自分は義
であり善なのだ。又、相手の非や欠点、失敗に快感があるなら、そ
れは肉であり、裁きだ。それは「裁いてはいけない」に違反してい
る罪だ。見分ける事は、事実を事実してだけ見るが、裁きは、主観
が入り、自分の思いが入る。

裁きがあるなら、悔い改めよう。そして、裁く事と見分ける事、識
別する事を区別しよう。光の御使い=神に偽装して来る、つまり偽
クリスチャンや、偽教師がいると御言葉が言っている。一見素晴ら
しいクリスチャンだが、実は聖なるものに敵対し、踏みにじって来
る者を、見分けられるよう祈ろう。祈りによって識別を与えられる。

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「なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか」とあ
る。日々の生活で、御霊からのものとサタンからのものを識別でき
るよう祈っていよう。祈りなくして不可能だ。「求めよ、そうすれ
ば与えられる」と続いている。祈りにより御霊が正しく導かれる。