2019年09月02日(月)

「それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ」T列王17:5



エリヤは、主から命じられ、アハブ王のもとへ行き、ここ2,3年
雨が降らない事を告げた。その場で殺されても不思議は無い。大変
な勇気がいった事だろう。しかし主に従った。その後、主はエリヤ
にケリテ川のほとりに身を隠すよう告げられた。アハブからかくま
うためだった。エリヤは「主のことばの通りにした」。ケリテ川の
畔に逃れた。

目の前の一歩一歩を主は確実に示された。そしてエリヤは従った。
だが、烏に養わせると言われるが、あり得るのだろうか。ゴミに群
がる貪欲な烏が、食物など運ぶのか。それは、烏でなく、主がエリ
ヤを養うとの意味だった。日照りで、日増しに枯れて行くケリテ川
の畔で、何もどうにも出来ない。、エリヤは無力を思い知らされ、
主ご自身に拠り頼む信仰の訓練とされた。

川の水も段々干上がって来る。どんなに心細い事だろう。「ケリテ
川のほとり」と指定されていて、他へ移動する事もできない。日照
りで水は涸れて来た。このままここにいて大丈夫なのか。命が危な
いではないか。しかしエリヤは自分で動かず、主の次の指示を待っ
た。「すると、彼に次のような主のことばがあった。

シドンのツァレハテに行き・・」必ず、主から次の導きが臨む。主
に拠り頼み、従おうとする時、目の前の進むべき一歩が示される。
その一歩に従うなら、また次の一歩が示され、次へと展開して行く。
主のみわざを見せられて行く。今、目の前の一歩を示されているだ
ろうか。それに従おう。従った時に、また次の一歩が示される。
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現実と主の示しには大きなギャップがあり、主はここからどう導か
れるのか、先のことはいつも霧の中だ。今日の一歩を主に信頼し委
ね、従おう。主が明日へと導き、主が成し遂げてくださる。