2019年12月03日(火)

「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し・・」マタイ25:36



「靴屋のマルチン」という物語がある。ある日、主がマルチンに現
れ「明日、お前のところに行く」と言われた。マルチンは嬉しくて、
翌日働きつつ、窓の外に目を凝らしていた。外は厳しい寒さで、そ
こに雪かきの老人がいた。彼はその老人を暖かい家に迎え入れ、お
茶をご馳走しもてなした。次に、赤ん坊を抱いた貧しい母親に目が
留まった。

マルチンは急ぎ出て行き、その母子を家に招き入れ、ショールを与
えた。マルチンは、主はまだか、まだかと待っていると、少年が老
婆のかごからリンゴを盗んだのが見えた。マルチンは少年のために
懸命に執り成し、一緒に謝った。やがて夜となり、一日が終わり、
とうとう主は現われなかったと、マルチンはひどく落胆していた。

すると主が「今日お前のところへ行ったのがわかったか」と言われ、
主の姿が、雪かきの老人、貧しい母親、リンゴを盗んだ少年に変わ
った。目の前の助けが必要な人に、手を差しのべるなら、それは主
に対してしたのだと教えられた。たいそうな事でなくとも、ほんの
些細な、小さな事でも、必要とする人に与えるなら、主は豊かに報
いて下さる。又、小さい者とは、普段余り気にかけない者の事だ。
それなら家族はどうだろう。

他人には配慮し、礼儀正しくし、素晴らしく良い人になるが、家族
は余りにも当然過ぎて、無遠慮になり、むしろ甘えが出てわがまま
になり、配慮を欠くかも知れない。一番身近な、家族こそをまず大
切にしなければならない。小さな者の一人にしたのは、主に対して
した事だと言われる。こんなに嬉しい事は無い。御霊に導かれ対応
しよう。
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ここ一番の大事には祈って備えても小さな一つ一つの事は意外と注
意を払っていない。愛のなさを覚える。御霊に励まされ、主が身近
に置かれた人々に愛を行いたい。