2020年05月03日(日) 「『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています』その人はイ エスが言われたことばを信じて、帰途についた」ヨハネ4:50
「『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています』その人はイ エスが言われたことばを信じて、帰途についた」ヨハネ4:50
王室の役人が、カペナウムから主のもとに来た。王の宮廷官吏で、 地位も財もあった。しかし、それらをもってしても、どうにも出来 ない事態が生じた。息子が病気で死にかけていた。どんな高名な医 者も治せなかった。絶体絶命の中、主の噂を耳にし、この方ならと 最後の望みを託して、30キロの道のりを必死の思いでやって来た。 どうか来て、息子をいやして下さるようにと願うと、主は「イエ ス」とも「ノー」とも答えられず、「あなたがたは、しるしと不思 議を見ない限り、決して信じない」と言われた。「あなたがたは」 であり、彼とガリラヤの人々が、主を歓迎しているのは、様々な奇 跡を見たゆえだと。 「イエスがなさったすべての事を見ていたからである」。それなら 逆に奇跡を見なければ、すぐに主から離れてしまう。それは、御言 葉を聞いて信じる信仰でなく、見て信じる信仰だと。しかし彼は、 尚も必死で「主よ、来て下さい」と息子の癒しを求めた。主は「帰 りなさい。息子は直っている」と言葉を与えられた。 すると、彼は、ただ主の言葉だけをもらい帰途についた。主の言葉 を信じた。彼は、主に、実際に来て頂かなければと思っていた。し かし主は言葉を与えられた。「不思議を見て」でなく、「御言葉を 聞いて」信じる信仰へと導かれた。 彼は御言葉を信じて、帰って行くと、途中でしもべが、息子が直っ た事を告げた。それが御言葉を聞いた「同時刻」である事を知り、 彼も彼の家族も、皆、信じた。見ないで、信じる本当の信仰へと導 かれた。 ・・・・・・・・・・ 信仰は聞くことから始まり、キリストについての御言葉による、と ある。せっぱ詰まった役人に、主が御言葉を与えて下さったように、 私たちの問題にも、求めに答えて言葉を与えて下さる。一心に御言 葉を聞こう。