2020年09月02日(水)

「私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者が栄えるのを見たからである」詩篇73:2



詩篇記者は、悪者が栄えるのを見て落ち込んだ。彼らは楽しげで、
肥え太り、何の苦しみの無さそうで、安らかで、富を増している。
それに引き換え、自分は惨めで、苦しみばかりで、何の良い事もな
い。この足はたわみそうで、歩みは滑るばかりと。なぜ神を信じな
い者が栄えるのか。不平不満で一杯だ。欲求不満のかたまりだ。

その彼が、神の聖所に入り、光が与えられた。実は彼の不平不満や
妬みや愚痴、様々な悩みや悶々の原因は、外側のものでいっさい無
く、神の近くにいなかった事によるものと悟った。「私にとって、
神の近くにいることが幸せ」なのだと。真の問題は、様々な悩みや
苦しい状況ではなく、自分と神との関係だった。

自分が神から離れているから、神を見ずに、別のものを見ているか
ら、喜びも平安も無く、妬みと愚痴と不満で一杯だった。それが信
仰にとって根本的なことだった。私たちも同様だ。愚痴や不満が募
る時、怒りでイライラ状態の時、本当の問題はその状況でなく、自
分と神との関係にある。神から離れているから、心が荒んでいる。

逆に、神と親しい交わりの中にいる時、状況がどんなに悲惨でも、
波風逆巻く大嵐の中でも、心は不思議な主の平安に守られる。問題
が問題でなくなる。一番大切で根本的な事は、自分と神との関係だ。
今、主との関係はどうだろう。距離があるなら、すぐに立ち返ろう。
平安が戻る。そして主との交わりの中でのみ、真の幸せと満足を感
じることができる。
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自分だけが、と落ち込む時は自分の事しか見えていない。自己憐憫
でいっぱいだが、これは違うと神に祈ると賛美の力が戻ってくる。
神なる主はいつでも避け所だ。