2021年05月03日(月)

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリスト の名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20



御霊の思いと肉の葛藤を日々に経験する。ある母親が、出勤しよう
とする時に、登校前の子供が、提出物のプリントが無いと騒ぐ。登
校時刻が迫ってる。母親も仕事に出なければならない。慌ただしい
朝に、家中探し回るが、無い。母親はイライラし、怒りが湧いて来
る。いつも前日に準備するようにと、口うるさく言っている。

「何で、昨日の内に準備しないのよ!」腹が立って仕方がない。時
間が無い。その間も時刻は迫る。子供は焦って、泣きべそをかいて
いる。母親は「すべての事について感謝しなさい」が、ふっと頭に
浮かぶ。この事も、信仰により感謝なのだと思う。しかし、一方で
は腹が立って、怒りがおさまらない。自我で、肉だ。心の内で子供
を責め立てている。

この事は感謝なのだという御霊からの思いと、片方では肉のいら立
ちが交錯する。いよいよ時間切れとなり、「神様!この事態を感謝
します!」と感謝を選択した。その途端、子供が「あった!」と叫
んだ。思いもよらぬ所から出て来た。主を感じた瞬間だった。一見
不都合な出来事の背後に、必ず主の素晴らしい取り扱い、ご計画が
ある。

感謝する事は、その事柄に主を認める事であり、信仰を献げること
になる。主はその信仰に働かれ、信じた通りになって行く。日々の
すべての出来事に主を認めて、感謝して行く時、主は信仰を成長さ
せて行って下さる。目の前の事態に主を認めることを求められてい
るだろうか。

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感謝は、「すべてのことについて」とあり、良い、ハピーな事だけでなく、
一見、不都合な事も含まれる。そこに主を認めて行くことが信仰だ。
「あなたの行く所、どこにおいても、主を認めよ」とあり、不都合な事
に主を認めて行く時、それが祝福へと導かれて行く事を見る。