2021年07月03日(土) 「なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。そ の人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないので す」Tヨハネ3:9
「なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。そ の人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないので す」Tヨハネ3:9
私達が「神の子」であることの根拠は何だろう。良い行ない、良い 態度だろうか。信仰的、霊的だから神の子だろうか。主の言われる 事に、きちんと従っているから神の子だろうか。だが、成長した、 霊的クリスチャンだから、神の子なのではなく、主イエスを信じ、 新生した瞬間にすでに神の子だ。 母親から生まれたから、その子供あるように、神から生まれたから、 神の子供だ。生まれの問題だ。雇い人なら主人の財産を相続する事 はない。しかし、子は親の財産を相続する。私達は、親である神の 相続人だ。すべてのものを相続する。キリストとの共同相続人だ。 何という恵まれた地位にいる事だろう。 父が、放蕩息子の兄に「私のものは、全部おまえのものだ」と言わ れたように。御父と私達は、労使関係でなく、無条件で愛される親 子の関係だ。子であるなら親に似て行く。きよくなる事を求めて行 く。キリストにとどまる者は、罪の内を歩まないとある。これは、 全く罪を犯さないという事でなく、弱さのゆえに罪は犯すが、故意 に罪を犯し続けないという事だ。 罪を犯すと、心が苦しくなり、犯し続ける事ができなくなる。「な ぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです」神の種 は、神の言葉だ。神の言葉が心の内にととまる時、罪を犯し続ける 事から守られる。神から生まれ、神の種を持っているからだ。サタ ンにも、罪にも、打ち勝って行ける。 ・・・・・・・・・・・・ 生まれ出てしまったら、どうであれ元には戻らない。自分がどんな にふさわしくないと思っても、すでに神の子だ。罪は犯してしまうが、 心が辛くなり、犯し続ける事ができない。神の子だからだ。御霊に より悔い改めが与えられ続け、新たにされ続ける。何とく感謝な事 だろう。