2021年09月02日(木)

「あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた・・わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために」イザヤ37:21



ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナケリブが、ユダの町々を
攻め取った。王はラブシャケを送り、ヒゼキヤ王と人々に脅しをか
ける。大軍を伴い、強大な軍隊を誇示し、挑んで来る。「ヒゼキヤ
王は、主が救うというが、ヒゼキヤの言う事にだまされるな、信じ
るな」と信仰を揺るがす。

これを聞いたヒゼキヤ王はどうしたのか。ヒゼキヤは衣を裂き、荒
布をまとって主の宮へ行き、主に祈りを献げ、イザヤにも祈りを要
請した。サタンの私たちへの攻撃も同様だ。私達に挑み、仕掛けて
来る。経済的困難や対人関係の悩み、仕事や様々な問題、信仰ゆえ
の戦い・・が来る。圧倒的な勢力のこの世を前に、自分達の無力を
見せつけられる。

「祈っても無駄だ、何になろう、主を信じてどうなる、しょせん無
力だ・・」。主を信じて立たないよう、この世に妥協して生きるよ
うに誘惑する。そうすれば楽に生きれる、摩擦も生じず、世の成功
も手にできる。サタンだ。このような時に、対抗手段は祈りだ。
ヒゼキヤもイザヤも切に祈った。

祈りに答え、主は奇跡をされた。何と主の使いが、アッシリヤの軍
勢18万5千人を打ち殺したのだ。セナケリブは立ち去った。世に妥
協させようと、耳元に来るサタンの誘惑に気づけるように。祈りに
より立ち向かおう。そして大事な事は、サタンの背後に、全権を持
たれた主の支配があり、サタンも主の御手の中であることを、絶え
ず見ていよう。
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サタンは巧妙に心の中にやって来て、状況だけを見させる。恐怖に
襲われたらすぐに主に祈ろう。サタンに勝利された主がいつも傍に
いる。御霊を通して目を開かせてくださる。