2021年10月01日(金)

「みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2



私たちは、「神を信じている」と口では言い、そう思っているつも
りなのだが、どうだろう。例えば「あなたは高価で尊い、あなたを
愛している」と言われ、「あなたは高価だ」「価値がある」と言わ
れても、素直に受け取ることができないのが本音だろうか。「信じ
きれたらどんなに良いだろう」「そうは言われても」「他の人には
そうだろうけれど、とても自分が高価だとは思えない」。

そのため心満たされず、心寂しく、喜びが無い。叉、「栄光の富を
もって、あなたの必要をすべて満たす」と言われても、「現実的に
どこから来る?」「無理としか思えない」「どう考えても不可能に
思える」、そのため不安と恐れと思い煩いでいっぱいだ。なぜ、聞
いたみことばが信じられないのだろう。

それは、みことばを聞いても、心にしっかり自分の肉の思いがあり、
自分の方法があるからだ。今まで根深く培われた自分の価値観があ
り、自分のやり方があって、常にそっちの方を選択してしまってい
る。そのため実は、主が語って下さるみことばを受け入れず、退け
てしまっている。みことばが、信仰によって結びつけられていない
からだと。

聞いたみことばを否定したり、スルーしてしまう、肉の思いに従っ
ていないだろうか。みことばを聞いているつもりなのだが、実は捨
ててしまっている。それに気つかないでいる。その結果、みことば
を聞いているのに、自分は全く変わらない事になる。みことばを聞
く時に、同時にサタンが働き、肉の思いを持って来る。自らはどう
だろう。どのように御言葉を聞いているだろう。気づきから祝福が
始まる。
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御言葉を信じ選択しよう。小さな日常の問題や悲しみも目の前のこ
とだけを見せてくるサタンが背後にいる。その場限りの感情や価値
観ではなく御言葉に立とう。焦点をあわそう。