2021年12月03日(金)

「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくし てください・・あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊 が、私をささえますように」詩篇51:1



ダビデは、信仰に歩んだ素晴らしい人物だった。しかし罪を犯して
しまった。バテシバとの姦淫の罪だった。そこで悔い改めれば良か
った。だが、それを隠ぺいするために、バテシバの夫ウリヤを殺害
するという、更に罪に罪を重ねてしまった。王であり、すべて意の
ままであり、口をつぐんでいた。しかし何もかもを見ておられた主
は、決して見逃されない。

預言者ナタンを遣わし、ダビデの罪を真正面から指摘された。その
時にダビデは、即、悔い改めたのだ。その瞬間、「主もまた、あな
たの罪を見過ごして下さった」とダビデの罪は赦された。サウル王
は、口先だけの悔い改めであったが、ダビデは真摯に悔い改めた。
ダビデの素晴らしいところであった。「私はあなたに、ただあなた
に、罪を犯し、悪であることを行なった」と。

「砕かれた、悔いた心をさげすまれない」と。ダビデは蒔いたもの
を刈り取って行く。バテシバとの間に生まれた子が病気になり、ダ
ビデは主に切に祈り、断食をして一晩中、地に伏した。どんなに痛
み苦しんだ事だろう。しかし亡くなった時に、ダビデは起き上が
り、
主を礼拝した。ウリヤを殺害したが、その命がどんなものであるか
を、身をもって知らされた。

子どもたちが姦淫の罪を犯し、実子は自分に歯向かい、苦しい刈り
取りをして行ったが、ダビデは残る生涯、悔い改め〃、主に従順に
従った。失敗してしまうが、人生何もかも終わったのではない。悔
い改めて、主により前に進んで行ける。
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ただ神に悔い、その刈り取りもしっかりと受けとる。神の前に真実
に立ち続けるダビデの姿に学ばされる。神の前に真実にいたい。神
は豊かに赦してくださる。感謝だ。