2022年03月03日(木) 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて 弱り果ててはならない」ヘブル12:5
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて 弱り果ててはならない」ヘブル12:5
信仰人生で、私達は大小様々な試練に会う。必ず試練があり、それ は御言葉もはっきり言っている。主が試練を与えられる。「試み」 「患難」「刈り込み」「懲らしめ」「訓練」「鍛錬」「悲しみ」と の言葉が幾つも出て来る。信仰の歩みで、必ず試練はあるので、そ れにどう向き合うかが大切だ。 苦しみにも種類があり、@ヨブの受けた一見理由のわからない苦し みA善に歩んでいて、尚、受ける不当な苦しみTペテ2:19B訓練鍛 練のためのものヘブル12:7C自分の罪ゆえの刈り取りD主のための 苦しみピリピ1:29 自分の「罪の結果である苦しみ」は、罪を悔い 改めるべきだ。主が罪を知らせ、悔い改めに導くために送られてい る。 自らが蒔いたものを、主と共に刈り取って行く事が、祝福の道だ。 訓練となって自分に返り、それをも益とされる。そして主は懲らし めを軽んじるな、又、逆に弱り果てるなと言われる。しっかり受け 止め「訓練と思って耐え忍びなさい」と。耐えられない試練は無 い。 その苦しみを通して、私達は砕かれ、練られ鍛えられ、聖められ る。 必ず一段階〃成長して行く。「理不尽な苦しみ」は、忍耐する時、 柔和が形造られる。又、ヨブは試練通して、主の噂を聞いていた が、 今、この目で主を見ましたと告白した。 「後になると」「これにより訓練された人々に平安な義の実を結ば せます」結実を見ると。後に、平安にされる。何と感謝だろう。 今、 苦しみがあるだろうか。罪ゆえなら悔い改め、そうで無ければ、忍 耐できるよう、主に祈ろう。 ------------- やがてわかる時がくると知っているなら、試練の今も光の中だ。理 由もなく、仕方なく我慢しているのではない。試練の中も主にあっ て確かな望みを持ち続けよう。