2022年04月02日(土) 「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向け ました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」 詩篇119:57
「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向け ました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」 詩篇119:57
主に従うためには、従おうとの意識的な「選択」が必要だ。詩篇記 者は、自分の足を主のさとしの方へ「向けた」と言っている。オー トマチックではない。没人格、没個性なのではない。ひとりでに、 勝手に従って行けるのではない。放っておくなら、肉の方に傾き、 楽な方へ、安易な方へと流されてしまう。 意識して、サタンの誘惑を拒否し、御霊の導きの方を選び取り、御 霊に拠り頼んで行く必要がある。操り人形のように、主が、私たち を操って従わされるのではない。それなら意志のない人形であり、 ロボットだ。主はいっさいマインドコントロールされない。主が、 私たちの意志を無視して、代わりに何かをされる事はない。 詩編記者は自分の道を顧みた。私たちはどうだろう。日々の生活を、 自分自身を顧みることは大切だ。日々の忙しさに、流されてしまっ ているだろうか。主との交わりから離れているだろうか。主の示し をなおざりに、ないがしろにし、引き延ばし、ぐずぐずしている状 態だろうか。 主のさとしの方へ「足を向け」る事が大事だ。祈っただけでなく、 祈った後、立ち上がり、実際に行動する事が求められる。今、主の 御心に自分の足を向け、具体的に従うように導かれているなら、実 行しよう。 「急いで、ためらわずに、仰せを守った」とあるように、ぐずぐず していると、必ずできなくなってしまう。今、示されている事があ るなら、急いで、実行しよう。意志を向けて選択するなら、力は主 から来る。 ・・・・・・・・・・・ まず祈りは大切だ。しかし、主はゲッセマネの園で、充分祈られた 後、「立ちなさい。さあ、行くのです。」と御心を行なうべく立ち 上がり、進まれた。御心を示されたなら、「急いで」、「ためらわ ず」実行しよう。そう出来るよう祈ろう。