2022年05月03日(火) 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力 は、弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリント12:9
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力 は、弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリント12:9
み言葉の言う「弱さ」と、この世の言う「弱さ」は別ものだ。前者 は自分の限界を知り、認めている事であり、後者は、強さが善で、 弱さは悪という価値観だ。就職試験で、あれもこれも出来ない、何 の能力も無く、弱い者ですと言えばどうだろう。逆にあれが出来、 これが出来る、様々資格があると言えばどうだろう。 世では、能力があり、力のある事が善で、無力は悪だ。この世は比 較の価値観の中で生きている。人より仕事、勉強が出来ない、対人 関係がうまくできない、そんな弱さは悪だ。競争社会なので、それ なら負け組になる。そんな価値観の影響を受けると、人の持つ幸せ を持たない自分、勝ち組でない自分は敗北者となる。 そんな自分を受け入れられず、認める事ができない。そのため自分 の弱さを知られたくなく、隠す事になる。競争社会で、弱さを見せ ると負けになる。自分で自分を縛り、窮屈にし、がんじがらめにし てしまう。しかし御霊の世界は全く違う。神の力は「弱さ」の内に こそ、「完全に」現われる。 神の愛や、真実や恵み、神の支えや、助け、それらは弱さの中での み体験できる。そして弱さは恥でなく、誇るべきものだと。頭でな く身をもって知る事になる。自分の弱さを認める時に、御霊の自由 の中に入れられ、安堵と喜びを経験し、解放される。生き生きと生 きて行ける。 しかし自分の弱さを認める事が必要だ。なかなか認められない。自 らはどうだろう。認めると自分が拠って立つ所が壊れてしまうだろ うか。御霊に心を探って頂こう。 ---------------- 弱さを認められず自分で自分を守る日々は孤独で辛いものだ。弱さ をきちんと認め、主を信頼して歩む日々は何と平安だろう。それゆ えに与えられる日々の恵みが感謝でならない。