2022年07月02日(土)

「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しい さばきをしてくださいます」ルカ18:8



ある町に神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。この人は
裁判官だが、人を人とも思わない人物だと。まず神を恐れないため、
人を人と思わない事になる。やもめが、裁判を求めて、ひっきりな
しに訴えて来るのだが、同情や思いやりのかけらも無い。必死であ
り、せっぱ詰まった辛い事情があるであろうに、何とも思わず、何
も感じない。眼中に無いかのようだ。

しかし、やもめが余りにもひんぱんに来るので、迷惑であり、仕事
にも差し触るので、うるさいから裁判をする事にした。裁判が実現
したのだが、それはあわれみの心や愛情からではなく、うるさくて
仕方が無いからの理由であった。こんなどうしようもない裁判官で
も、執拗に願い続ければ、裁判になった。

そうであれば、ましてや私たちを独り子を与えるほどに愛して下さ
っている神が、私たちの訴えを、正しい裁きをつけずに放置される
わけがないと。そういう事を言っている。「ましてや神は」がキイ
だ。とんでもない人物と神を対比させている。この人物は、あくま
でも自己中心な理由だったが、神はそうでなく、どこまでも私たち
を愛して、私たちの最善を考え、正しい裁きをして下さると。

だから失望せずに祈り続けよと。大事な事は、祈り倒せば良いので
なく、祈る相手がどのようなお方かという事だ。神は最善以下をさ
れない。すみやかに正しいさばきをして下さる。だから、答えが遅
れていても、必ず「神の時」に答えが来るので、「失望せずに」祈
り続けよと語られている。

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主は、執ような祈りに、うるさいから答えて下さるのでなく、愛し
慈しんでいて下さるから、答えて下さる。先も見通しておられ、何
もかもご存じだ。今、祈っている祈りを引き続き祈ろう。最善の時
に答えを下さる。「失望してはならない」を心に刻もう。