2022年08月02日(火)

「私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私 を贖い出してくださいました」詩篇31:5


幼児が、口の狭いキャンディボックスに手を入れ、飴を握りしめ、
手が出ないと泣き叫んでいる。時々目にする光景だ。飴を放すと、
手が出るよと言うが、嫌だと泣くばかり。こっけいな光景だが、私
たちの霊的生活に似ている。心がザラつき、悶々と苦しいだろう
か。

その時は、何かを握りしめている。憎しみや妬みか、裁く心か、赦
せない思いか、思い通りにしたい事柄だろうか。憎しみや妬みや裁
きは、自分が辛い。平安も喜びも無い。飴を手放すなら、ボックス
から手が出る。憎しみや妬みを手放す時、心は自由にされ、喜びと
平安が戻る。

しかし固い自我は、決して放そうとしない。苦しいのに、憎んでい
たいし、妬んでいたい。罪の性質だ。「出来ません」「したく無い
者です」と認める事から始まる。ある人が子供の難病を、どうして
も受け入れられないでいた。

「なぜ?」「どうして?」「自分の子が?」と涙は溢れ、グルグル
思いは回り、苦しみ、つぶやき、主に対して反抗している自分がい
た。同年齢の子どもを見れば涙が出た。悶々の心は苦しくてたまら
ず、とうとう限界に達し、ギブアップした。もう瀬戸際で、明け渡
さざるを得なかった。

苦しみの余り、自分自身も子どもも将来も、不安も恐れも、何もか
もを明け渡した。その時、状況は変わらず、同じなのに、心に生ま
れて初めての、深い安堵と平安が臨んだ。委ねられないで握ってい
るなら、その事を主に告げて、ありのままの心を祈ろう。
------------
ひとつ、ひとつ主に委ねて御心を信頼し受け入れていきたい。自分
の思い通りという執着から解放される。試練と共に置かれて在る慰
めや恵みに気づける。