2023年04月01日(土)

「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺され るが、三日目によみがえります。」マタイ17:23 


主は十字架の死とよみがえりを語られるが、弟子たちは理解できな
かった。わからないなら、主に問えばよいのだが、そうしなかった。
「尋ねるのを恐れた」とあり、真実を知ろうとする事、又、その事
を考えたり、追求する事を拒否してしまっていた。「恐れた」とは、
受け入れがたい事を言われるのが恐い。不安で知りたくない。向き
合う事を避けたい。

人は自分に都合の悪い事、痛い事は聞きたくない。耳を閉じてしま
う。弟子たちが求めていたのは、栄光のメシヤで、最後までそれし
か無かった。そのため十字架で無惨な死など、到底受け入れられな
かった。理解できないまま、主の十字架と復活を迎えた。しかし失
望落胆し郷里へ帰る、

エマオ途上の弟子たちに主の方から近づき、御言葉を語り、再び信
仰を燃やして下さった。又、弟子たちは、主がよみがえられ時、以
前そのように言われた事を思い起こし、聖書と主が言われた言葉を
信じたとある。私たちもどうだろう。自分の思いが強い時、強い思
いが妨げとなり、御言葉がわからない。

又、うすうす感じているあれやこれやも、痛いので向き合う事を避
けているだろうか。恐れがあるだろうか。ありのまま弱さも恐れも
主に告げて行こう。そして主に、わからせて下さるよう求めよう。
御霊が働いて下さるので、助け、解き明かし、わからせて下さる。
「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます
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ありのままを祈ってみよう。「御言葉が、ぼんやりしてよくわかり
ません」実はわかりたくないのかも知れない。わかると、従わねば
ならないので、犠牲を払うのは困るのかも知れない。心の奥の本当
の思いに気づかせて下さる。気づきにより、前に進んで行ける。