2023年07月03日(月) 「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築 き上げたのだ。』と言わないように気をつけなさい。」申命記8:17
「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築 き上げたのだ。』と言わないように気をつけなさい。」申命記8:17
イスラエルは主の選びの民とされた。それは、まずイスラエルが祝 福され、彼らを通して諸国民が祝福され、救われるようにという事 であった。民は、苦難のエジプトから救い出され、水も食物も無い 荒野で、主の奇跡をもって養われ守られた。そして主が約束された 通り、乳と蜜の流れる地カナンに導き入れられた。 ところがその良い地で、生活が豊かになると「この私の力、私の手 の力が」、この富を築き上げたのだと高慢になった。主は、何度も 警告された。「主が」あなたに富を築き上げる力を与えられたのだ と。その事を決して忘れるなと。人は、何不自由無い、平穏な日に は、主を忘れてしまう。自分の力で生きて行けると思うからだ。 主を忘れ、恵みを忘れ、高慢になってしまう。「苦しい時の神頼 み、楽しい時の神離れ」と言われるが、順境の時には、恵みが飛ん で、何もかもが当り前となり、感謝が無くなる。こんな時、主は愛 ゆえに試練を送られる。懲らしめは愛だ。民も、バビロン捕囚とい う非常に厳しい試練に会った。砕きであった。 エルサレムがバビロンによって攻められ、国土を失い、家を失っ た。異国へ捕囚の身となり、苦難を受けた。やがて次世代になった 頃、人々は暮らしは、それなりに成り立っているが、信仰心は失 せ、何を拠り所に生きて行けば良いのか、心は空虚だった。そんな 時に、諦めていた祖国帰還のメッセージが語られた。 労苦は終わり、慰めの時が来たと。私たちも状況が悲惨でも、主は 決して捨てられない。必ず朝は来る。何よりもいつも主を心に据え て、高ぶらず、主が祝福の与え主である事を心に刻んでいよう。 ------------- 苦しい時にも希望があり、主は今、平安の地に導いてくださった。 幸せは見えにくいが主のあわれみは尽きない。主が良くしてくださ った事を何一つ忘れず、へりくだり主に感謝をささげたい。