2023年08月03日(木)

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わた しを信じる者は・・その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る ようになる」ヨハネ7:37



人は、被造物なので、何かに頼らなければ生きて行けない。自分
は、誰にも何ものにも決して頼らず、自主独立だと言う人がいる
が、実は自分に頼っている。人は、正しく神に頼らなければ、必ず
何か別のものに頼る。そしてそれが心の偶像となる。名誉、地位、
富、愛する人、人からの賞賛、仕事、趣味・・何かを握りしめて、
心の安心安定を得ている。

ザアカイは、富が自分を幸せにし、夢を叶え、将来を保障し、喜び
を与えてくれると信じたので、富を握りしめた。不正で財を築き、
トップに昇りつめ、大金持ちとなった。しかし罪を犯していたの
で、喜びも平安も無かった。心は虚しく、頼った富は決して幸せを
くれなかった。更に同胞にも毛嫌いされ、暗い寂しい孤独な日々だ
った。

一筋の光を主に求め、最後の望みを主に置いた。ところが、主はす
でにザアカイを知り、主を求める魂をご存じであった。木にまで登
り、主を求める一途な心を受け止めて下さった。ザアカイは主によ
り罪赦され、心は初めて喜びで満たされた。サマリやの女性も男性
が偶像であった。

5回の結婚と離婚を繰り返し、現在は同棲中だった。心が虚しくて
たまらず、満たしてくれるものを、渇き、あがき求めていた。そん
な心をご存じで、主が近づき、救いを与えて下さった。私たちも心
の満たしを求めて、主以外のものを求める心はどうだろう。心のす
きまを、空洞を、主に隅々まで埋めて下さる。
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主を信じていても、まだ満たされたいと何かを探してしまう。けれ
どまた渇く事も経験済みだ。主以外のものを探しているのに気づい
たら、ありのままを祈ってみよう。祈りを通して主のいのちが流れ
てくる。