2023年11月02日(木)

「群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知る と、自分たちもその小舟に乗り込んで、イエスを捜してカペナウム に来た。」ヨハネ6:24



人々は、主が、5つのパンと2匹の魚で、群衆を満腹させた奇跡を
見て、主を自分たちの王にかつぎ上げようとした。主は、人々が、
むりやり連れて行こうしているのを知り、一人、山に退かれた。
そして群衆が、主を捜し、湖の向こう岸で主を見つけた。「いつお
いでになりましたか」と問うた時に、彼らが主を捜している動機を
指摘された。

「あなたがたがわたしを捜すのは、しるしを見たからでなく、パン
で満腹したからだ」と。彼らは、皆がパンで満たされた、その驚く
べき奇跡を見た。だが、その奇跡を見て、主を神の子キリストとし
て認め、礼拝するのではなかった。主についておれば、いつも食物
がもらえるのなら、こんなにラッキーな事はない、ご利益宗教であ
り、利得のための信仰だった。

自分の願望を叶えて欲しいばかりで、それだけだ。主がどのような
お方かに、主のみ思いに関心はなく、自分の願望を満たして欲しい
だけだった。主ご自身に関心が無いので、自分の利得になっている
間はついて行くが、自分の思い通りにならなければ、離れ去る。つ
いて行く意味がないからだ。


私たちはどうだろう。自分の願いを叶えて欲しい、それだけだろう
か。主は、必要を与えて下さる。しかし主の側の事はどうだろう。
主のみ思いに心を向けているだろうか。主はみこころをお持ちだ。
その主と交わりを持ち、お心を知り、従って行くことを喜ばれる。
そして、私たちは、自分の利得に関係なく、どんな中でも、主を崇
め、主を礼拝して生きることが、人生の目的だと知っている。
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主のお心はどうだろう。自分の側のことばかりで主との関係は少し
も考えていないのではないか。主が私に与えてくださるのは、主が
喜ばれている事だ。だから最善だ。主を喜び賛美していたい。