2024年04月02日(火)

「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築 き上げたのだ。』と言わないように気をつけなさい。』」 申命記8:17



イスラエルは神の選びの民とされた。それは彼らを通し、諸国民が
救われるようにとの事であった。主は民をエジプトから救い出し、
水も食物も無い荒野で奇跡により守られた。そして御言葉通り、乳
と蜜の流れる地に導き入れられ、約束を成就された。

だが良い地で祝福され豊かになると、民は「この私の力、私の手の
力が」、この富を築き上げたのだと高ぶった。主は、何度も警告さ
れた。「主が」あなたに富を築き上げる力を与えられたのだと。そ
の事を決して忘れるなと。人は、何不自由無い順風の日には、主を
忘れる。

自分の力で生きて行けると錯覚し、恵みを忘れ、高慢になってしま
う。「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と言われるが、何も
かもが当り前となり、感謝が失せる。こんな時、主は愛するがゆえ
に、主に頼るようにと、試練を送られる。懲らしめは愛だ。

民もバビロン捕囚という厳しく苦しい試練に会った。砕きであっ
た。エルサレムがバビロンによって滅ぼされ、国土を失い、家を失
った。異国への捕囚の身となり、苦難を受けた。時を経て、次世代
になった頃、人々は暮らしはそれなりに成り立っているが、信仰心
は失せ、何を拠り所に生きれば良いのか、心は空虚だった。

そんな時に、諦めていた祖国帰還の言葉が語られた。労苦は終わ
り、慰めの時が来たと。私たちも状況が悲惨でも、主は決して捨て
られない。必ず朝は来る。何よりもいつも主を心に据えて、主が今
の祝福の与え主である事を、心に刻んでいよう。
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主の祝福がなければ全ては虚しい。主に感謝を忘れず、日々主に信
頼して歩みたい。高ぶったり、逆に落ち込んだりする時、自分の手
の力を頼りに歩んでいないかと、祈りたい。