2024年06月01日(土)

「・・民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に 渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、 わたしに向かって誇るといけないから。」士師記7:2



兵士がどんどん減らされて行く箇所だ。当時、イスラエルは侵略
を受け、苦しい状況にあった。主はデオンを立てて、民を率い、
諸国と戦わせようとされた。その呼びかけに32,000人が集まった。
だが相手は135,000人の圧倒的大軍で、勝ち目はない。しかし主
は非常に不思議な事をされた。ギデオンに、何と兵士の数が多過
ぎるので、減らすよう命じられた。

そして最終的にはたったの300人が残された。135,000人の敵に、
その300人で戦うと、ギデオンの大勝利に終わったのだ。この時、
主は彼に兵士を減らす理由を「大人数だと自分の手で救ったと、
自分を誇るから」と言われた。この戦いの勝利が人間によらず、
主の力によるものである事を明確にするために、あえて兵士の
数を減らされた。

私たちはどうだろう。自分がもっと強く、能力があればと思うだろ
うか。だがもし強ければ、主の働きを自分が奪い、自分の栄光に
してしまう。信仰的体験さえも、肉は誇る。パウロは、第三の天に
引き上げられるという、特別な経験をした。パウロも、自分を誇ら
ないよう、余りにも大きな恵みに、高ぶらないように、とげが与え

れたと言っている。

苦しいとげであったが、それにより高ぶりから守られた。高慢から
守って下さるのは、何と感謝だろう。そして更に素晴らしい啓示を
受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と。この世で
誇れるのはどこまでも強さだが、私たちは弱さを誇る。何という恵
みだろう。

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この世の価値観では、強いこと、力のあることが善だ。しかし信
仰の世界は全く違う。「もっと〜〜であればよいに」と思う、その
弱さの中にこそ、主の力が現われるとは、何と感謝なことだろう。
主にゆだね、頼って行きたい。